さくらだより第16集

想定外・想定内
 昨年の「さくらだより十五号」が出来上がって、今年も春を迎えられたなあ・・・と、ひとり感慨にふけっている頃、年金の納付記録にとてつもない問題があるらしいということが報道された。

 その後、色々なことが発覚するにつれて、『そんないい加減なことがあるのか?』と、まさに開いた口が塞がらない。  
 その後の参議院選挙。五千万件の宙に浮いた年金記録は、平成二十年三月までに処理するとの宣言。 そんなに簡単に処理できるのか・・・と、拍子抜け。
 安倍総理続投宣言後のまさかの辞任。  
 インド洋の給油活動が、実は戦争に加担しているかもしれない・・・との発言は、深夜のテレビ討論会を見ていた時、初めて耳にした。
 突然の大連立の話。大政翼賛会、の言葉には背筋に冷たい空気を感じた。
 防衛庁事務次官と山田洋行。自衛隊にイラク人道復興支援を命令しておいて、それはないだろうと思った。
 老舗「赤福」・「船場吉兆」の賞味期限切れの商品販売の発覚。  年が明けて、再生はがきという年賀状。実は古紙の配合比率は、ずっと以前から偽装だった。
農薬メタミドホスによる中毒。冷凍餃子を食べて、農薬中毒の症状という第一報に、見えない悪意を感じる。

 びっくりした。でもじっくり考えてみると・・・・
社会保険庁で仕事に携わっていた人々は、統合できないデータがあることには気がついていたはず。将来データ照合に困るであろうことは予想できたのでは?
 わずか数ヶ月で、五千万件ものデータの名寄せが出来るのなら、とっくに出来ていたはず。
近くで戦争が行われているのに、油が利用されないと考えるほうが変。
 自由民主党で活躍をした人が党首なのだから、大連立もあり?
権力を持つ人のところには、お金が集まるようになっているのは衆知のこと。家族と別れて、命がけで復興支援に出向いた人々の気持ちを踏みにじっている、と声を上げても空しい限り。
 賞味期限切れとのことで、廃棄される食料はどのくらいあるのだろうか?もったいない。生産調整はできなかったのか?
 「再生紙」というエコ偽装。ブランドに翻弄されやすい日本人気質。
 残留農薬ではないだろう。そうだとすれば・・・・これが想定内だとすると怖い。


タミフル
 インフルエンザの特効薬。異常行動との因果関係が取り沙汰され、議論は二転三転。判らないことが不安を誘う。
 
 インフルエンザウイルスが体内で増殖をするのを抑制するということで、画期的な新薬として登場した。実際インフルエンザに罹患して高熱で苦しんでいても、タミフルを服用するとすぐに平熱になり、その効き目には目を見張った。インフルエンザウイルスに対して作用するので、人間の細胞には悪影響は無いはずであった。ところが・・・。

 現時点での見解は、タミフルは体内で活性体となってインフルエンザウイルスの増殖を抑えるのだが、活性体になれないタミフル(タミフル未変化体)の脳内の濃度が上昇して異常行動をおこしているらしい。このタミフル未変化体の脳内濃度が上昇する要因は、脳から排出させるタンパク(P糖蛋白)の作用が弱いことにあるのではないだろうか?ということ。

 また活性型タミフルが作用する部位であるノイラミダーゼという酵素は、実はウイルスだけでなく人の細胞にもあることがわかった。 したがって、この酵素の働きを抑えると、人体にも悪影響があることが想像できるということである。
薬は難しいと思う。しかし難題に向かってチャレンジする科学の力も素晴らしいと思うのである。


新型インフルエンザ
 タミフルと異常行動の因果関係がはっきりしないまま、鳥インフルエンザが人に感染したという情報が入る。
 鵜飼谷温泉近くの和気ドームで、新型インフルエンザが発生をしたという想定の訓練が行政主導でなされる。
 NHKで新型インフルエンザが東京都で流行したというドラマが放映される。
 薬剤師会赤磐支部でも「薬と健康の週間」のイベントとして、中央公民館でインフルエンザ全般に関する講演会を開催。
 漠然と恐ろしいということは想像できても、実際に何をどのように準備すれば良いのか皆目わからない。

 タミフルを備蓄するべきなのか?
 インフルエンザワクチンは有効なのか?
  行動規制が行われたら?
 食料補給の方法は?

 結局事態が発生してみなければ何が必要で何が問題なのか、わからない。

 唯一つ確実なのは、新型インフルエンザは必ず流行するということ。それが今年なのか、数年後なのか、数十年後なのかはわからないが・・・・と識者が言っていた。
 ひたひたと近寄る恐怖感。


動的平衡
 平成十九年度・二十年度の二年間、高月地区の小・中学校が食育に関しての研究校になったということを、養護の先生から知らされた。
 日頃「食」はエネルギー補給の手段か、またはストレス解消の手段としての認識しかないが、教育の一環であれば、学校薬剤師として関係している以上、いくらか勉強をしなければならない。にわか勉強をしているうちに、ルドルフ・シェーンハイマーの「動的平衡説」という理論にたどり着いた。

 食物中の窒素原子に印をつけて、それがネズミの体内でどのように変化をするのかを実験し、食物は分解されてアミノ酸となり、それらが再配列をすることにより身体を構成する蛋白となり、そしてその蛋白は分解されて体外に排出されるということを証明した。

 食物が胃で消化されて、からだを動かしたりもの考えたりするエネルギーを作ったりまたは血液や筋肉になるというのは、かつて小学校で習ったように思うが、『動的平衡』とはヒトの身体も自然界の存在の一部で、元素の通り道であるという理論らしい。元素レベルでみると、昨日の筋肉の一部は新たな元素に置き換わっているということ。なんだか素敵な話。


弄花香満衣
  日々処方箋と対峙していると、自分の顔つきが夜叉のようになっていると思うときがある。
処方意図が判らない時、患者さんが立て込んでいる時、初めて見る薬の名前で薬効が想像できない時、疲れている時など等。
恐らく薬局でそんなところを見られたのだろう、一人のお坊様が表題の字を書かれた色紙をプレゼントしてくださった。 優しい字で、見ていると心が落ち着く。

 たびたびお目にかかれるわけではないのだが、どこかで見守っていて下さると勝手に思っていた。  
昨年の桜の咲く前、とても大きな問題に突き当たって、どうすれば良いのか悩んだ。どのように考えたら良いのか、わからなかった。

 ところが、昨年四月一日、難題は突然解決した。

 しばらくたって、色紙を下さったお坊様があの世に旅立たれたことを知った。今でもお坊様が解決してくださったのだと信じている。  
後日遅まきながらお寺にお参りをして、そのお坊様のお葬式の日は近くの桜が満開だったというお話を伺った。

 来世においでになるとわかっていても、お目にかかれないのは淋しい。満開の桜の下で、会うことは叶わないのか?

因果応報
 さくらだより十五号に書いたが、すったもんだの後、昨年春、光回線になった。  
 このトラブルを経験して、下請け・孫請けのしくみの理不尽さを知った。  
 「世の中そんなものだ!」と諦めるのは易しい。

 「それって、親会社による下請けへのいじめですか?」と問う私の言葉に、担当者の人は口をつぐんだ。  
 小・中学生や高校生のいじめが社会問題化しているのに、大人の世界でも同じ事をしていることがとても悲しい。

 口を閉ざしている場合ではない。



許すということ
 もしも、今、思いがけずにあなたの人生が終わろうとしたら、「ああ、あの人と和解しておけばよかった」と思い浮かべる人はありませんか。

 思い浮かんだなら、先送りしないで、今、その人を許すことを始めてみませんか。
 許す、ということはそれだけの単純なことです。
 遠くにある事件を、言葉や知恵や正義を費やして論じるものではなくて、自分の人生に具体的に和解を取り入れること。それだけです。自分の足元の和解の延長線上にこそ、遠くの事件を思う心も培われるのですから。

 これは私の友人北谷さんの文です『マザーテレサが来日したときに、ある記者が「私にできる平和は、どのようにすればいいのか?」と質問したらマザーテレサは「今すぐ、家に帰って家族を愛しなさい」と答えたそうです。私は思いました。いますぐ家庭を平和にする活動から始めよう。家族の平和を実現できなければ、世界平和を実現できない、と。』

 家族に取り組めたなら、次は友人、そして同僚、ついには過去に私を傷つけて許せない人に、と繋がっていくでしょう。それは結局、“自分の傷に対面すること”になるでしょう。自分の傷を覆い隠したまま、遠くの事件を「許す」「許せない」と論じ無いほうがいいでしょう。自分の癒されていない、自覚の無い傷はきっと、「(他者を)許さない!」と叫ぶからです。 許すには、まず、“許すことを選ぶ”ことが第一歩です。

  今あなたが許せそうもない身近な人を思い描き「許そう」とつぶやいてみてください。許すのを選ぶのはなかなか難しい、と実感するでしょう。けれどあえて許すのを選んだなら、目の前に、具体的に取り組むべきことが置かれます。それを乗り越えていけるかどうか自分との戦いが要求されるでしょう。

  許すことは自分との戦いです。論じるだけならなんと楽なことか。自分の見識に酔い、自己満足さえ覚えるのですから。
 けれど許すことは解放です。自分を縛っている鎖からの解放。
 
 私は『虐待の親子連鎖を断つ会』を二〇〇四年に設けて、苦しむ方と共に歩んでいます。 彼らは、相手を許すことを選ぶ以前に通る道を、私に見せてくださいます。それは、“自分を許すこと”です。自分を許せて初めて他者をも許せる、と。
 「許してあげた(心理的)」ではなく、「心から許せた(スピリチュアル)」を味わうなら、開放を味わうでしょう。解放を文章で伝えることはできません。湯舟につかったことのない人に、「湯舟につかるとね、細胞が開く感じ。あったかーく包まれるの」と言葉を駆使して説明しても、体験のない人には分 かりようがないのと同じです。

 許すことは、あなたの最も深くにある必要に、神様が応えてくださることなのだと体験するかもしれません。
頑張って最初の五メートルの泳ぎを覚えたら、後は海に泳ぎだせるのと一緒です。
足元の和解は、広く遠い和解につながっていくでしょう。
どうか小さなことひとつでも、あなたの生活に和解がもたらされますように。        (馬場由記恵)


リタリン乱用
 スピュリチュアル・ケアに取り組んでおられる、馬場さんは、すべてをあるがままに受け入れることを説かれる。そして時々見せてくださる家族新聞には、家庭内に起こる日常を、温かい言葉でつづっておられて、ほのぼのとした気分にさせてもらっている。  

 一方で心の病は増えているのだろう。ここ数年、うつ病など精神科領域の薬を調剤することが多くなったと感じている。ストレス社会といわれるようになって久しい。
 うつ病増加の原因として、日本の社会が高度な成長を望めない閉塞感だとか、物質的に豊かになり過ぎたことだとか、個食が増えて家庭内での会話がなくなったことだとか、神経科受診への偏見が少なくなったとか色々言われている。

 本来はうつ病・小児の多動性障害や珍しいナルコレプシーという病気の治療に用いられなくてはならない薬が、覚せい剤のような使われ方をされてしまった。  
 この誤った使い方が社会問題となり、昨年暮から厳しい使用基準が設定され、多動性障害の治療には、この薬は使えなくなった。
 処方する医師が限られて、調剤できる薬局も限られるようになった。このことにより、今までは医師や薬剤師は「薬を乱用しないもの」という、性善説を基に使用基準が作られていたことに気がつく。
 今回のとても厳しい使用基準の設定には、性善説が覆されたような気分になってしまった。

 もっとも、馬場さんの書かれているように、家庭のあり方や社会のありようを見直すことが、必要であるのだが・・・。

後  記
 大学生間の麻疹大流行で始まった春。当薬局での就実大学薬学部の学生実習も、一週間短くなりました。若い二人が頭を寄せ合いながらレポート作成をしたり、初めて口にする漢方薬のせんじ薬に顔をしかめたりする様は、なんとも微笑ましく、巷で言われている若者像とは違って見えました。
『動的平衡』ではありませんが、先人の知恵を取り込んで、別のエネルギーに変化させて、次の時代へ活躍して欲しいと心から応援したくなりました。  

 夏休み前まではずいぶんと過ごしやすい気候でしたが、それ以降大変な猛暑でした。参議院選挙で国民生活が争点になりました。

 秋には薬局旅行で、SL列車で津和野へ行きました。森鴎外が娘(茉莉)に処方したという自筆の処方箋も見学してきました。一枚の処方箋に父の愛情が読み取れました。

 冬が過ぎ春の息吹を感じるこの頃、新型インフルエンザへの恐怖、冷凍食品への農薬混入・ガソリン代の値上げなど、ややもすると意気消沈しそうですが、陽気をうまく取り込めるように鍛錬したいものだと思います。
 
 挿絵は、斎藤明子さんが季節毎に薬局に託けてくださる絵手紙から抜粋をさせていただきました。頂戴したお手紙の中に、「人は決してひとりでは生きてゆけません」と書かれていました。

 様々な人生経験を積まれた方々に背中を押されるようにして、日々を過ごさせて頂いているように思います。  二度とやってこない今日のこの一日を大切に過ごしたいと、桜の季節を前に思っています。

発行日 二〇〇八年四月
発行者 赤磐市岩田六十三ノ一   
さくら薬局
http://www.sakuraph.jp/

印刷財団法人矯正協会